[今週の喝]第630号 (2017.5.15~2017.5.21)


潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

成功への道しるべ!この世は全て催眠だ 373

 

      「健康は病気のもと!?」
                                 
 
 文明が極度に発達した現代社会は、昔とは比べものにならないくらい暮らしやすい社会になりました。と言いたいところですが、実際問題として、心に悩みを抱えている人が昔に比べると格段に増えています。
 人間の心と身体は密接に影響し合っているので、心が病むと身体に変調が出ます。古来より「心身一如」と言われるように、心が病めば身体は疲弊し、その活力を失います。つまり、筋肉の力が弱まるのです。また、その逆に、身体の一部が病気や怪我で痛みなどの変調を感じると、まともに思考は働きません。私も指先に小さな棘(とげ)が一本刺さっただけで、全く文章が書けなくなった経験をしました。
 ですから、良い仕事をする為の第一条件は「健康」であることです。しかし、私たち生き物は、健康であるときほど、健康であることを感じなくなるように神様は作られました。それは、健康を意識すれば、それに心が奪われて、物事に「集中」出来ないからです。特に人間は、集中力のある者が良い仕事をするように出来ていますので、「健康」であることは、とても有り難いことなのですが、健康に意識が行かない故、特別に「感謝」の心は湧きませんね。病気になって初めて、健康の有り難さを知るという「後知恵」……これが健康です。
 健康に感謝して、常に体調を整え、病気にならないように対処対策をとれば好いのですが、これがまた厄介なことに、健康を意識すればそれに気を取られ、気が散り、集中力が削がれ、仕事が疎かになってしまいます。
 だから我々は、健康を意識せずにいる故、夜更かしや暴飲暴食など身体に良くないことを、健康であるがためにしでかし、その結果、肉体を疲弊させ抵抗力を弱め、やがて病気を誘発するのです。
 このように、「健康」という当たり前の状態を観察してみても、大いなる矛盾を感じずには居れません。

 

★★「衰老の辛酸」は「頑固」より始まる★★

 私たちの心と身体は、このように密接な関係にあります。そしてもっと詳しく観察してゆくと、私たちの心が意気揚々と肯定的、希望的なときは、我々の肉体はリラックスし、筋肉は柔らかくなっています。これは、内臓系の筋肉に於いても同じで、肺や胃腸など五臓六腑も柔軟に動いて、食べ物の消化、並びに血液やリンパなど体液も円滑に身体を駆け巡ります。
 特に、呼吸が深くなると血液循環が促進され、身体の隅々にあまねく酸素が供給され、細胞レベルで健康が維持されます。従って、健康な身体とは、呼吸が深く、筋肉が柔らかい状態で、思考がプラスの方向に展開して行きますので、アイデアや記憶力が活性するのです。
 「心身一如」とは、このような関係から「呼吸・筋肉・想念」が密接に繋がって平行移動している状態です。ここで注意しなくてはならないのは、「呼吸・筋肉・想念」のうち、「筋肉をリラックスさせよう」と思っても、そう上手くはゆきません。また、想念(自分の考え方)をプラス思考にしようと考えても、これまた「そんなこと出来るかなぁ?」と、マイナス思考に傾きます。ですから結局、自分の意思通りに動くのは“呼吸”ということになります。
 呼吸は深くする訓練を経れば、やがて自在に呼吸を操ることが出来るようになり、深呼吸は体内の血液循環を促進し、末端細胞の隅々にまで酸素供給をしますので、呼吸が穏やかで深い人間は、その思考状態がプラスになるのです。ですから、あらゆる修行……宗教やヨガ、スポーツまたは芸術の分野に於いても、先ずは呼吸をコントロールすることから始まります。
 我々人間の大半が、年齢を経るごとに頑固になるのは、身体が堅くなると思考がマイナスに働くからです。そしてこの時、同時に肺の筋肉も徐々に衰えて呼吸が浅くなるため、新たな発想が浮かび難くなります。それでも、人間はプライドは棄てられないので、過去の自分の所業にしがみつき、それが障壁となって、余計に新しい発想が湧き出難くなるのです。
 このように、過去の栄光や成功例はシッカリと記憶に留まっているため、見識やプライドは現在の知恵の枯渇を補おうと、無意識にその実態を覆い隠そうとして、他者(現在活躍している者など)の悪口を言うようになるのです。それの最たる言葉が「今時の若者は……」という慣用句です。「年寄りの冷や水」(歳に合わない出過ぎた行動をしようとすること)とは、このように他者を悪く言うことで己自身の優位性を示そうとする断末魔の抵抗から始まるのです。
 人間の最大の不幸は、「衰老の辛酸」を嘗めることです。年老いてからの辛酸で最も悲惨なことは何かと考えますと、それは「人間関係の破綻」だと私は思います。人間は自分と同じ考え、またその考えを調整するため親しく論議できる仲間がいて、初めて同胞愛に目覚めます。それが、頑固な心しか持てなくなると、次第に孤立し、周りに人がいなくなったのを自分に逆らう人間がいなくなったと錯覚して優越すら感じるのです。いやはや、人は自分自身が「常に正しい」と思わなければ生きていられないやっかいな生き物ですねぇ。
 このように、「自分は正しい!」と思うために、自分に都合の良い考えや事象をその証拠として集め、歪んだ証明をしようとすることを「確証バイアス」といいます。これも“我”の表出の一つで、頑固者が持つ一種の「偏見」なのです。

               この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/