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[今週の喝]第631号 (2017.5.22~2017.5.28)


潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

成功への道しるべ!この世は全て催眠だ374

 

              「呼吸・筋肉・想念」は平行移動!

                            
 
 人間が何をするに付け、最も忌むべき感情は「恐怖心」です。恐怖は、我々の最大事である決心が優柔不断になるだけではなく、遂行能力も著しく低下させます。そして、筋肉に力が入らなくさせてしまうマイナス感性の最たるものです。この恐怖心を払拭する手立てを修得すれば、人は勇気凜々、何事にも真っ正面から正々堂々とぶつかって行く勇気を持つことが出来ます。
 先週述べた、「呼吸・筋肉・想念」が互いにい影響し合い、平行移動しているという人間の情動のシステムから逆算すれば、呼吸だけが制御可能です。だから、古来より呼吸調整(呼吸法)で自分の心を統御したのです
 呼吸のことを“息”と言い、「自分の心」と書くように、呼吸の深い、浅いは、自分の心の表れです
 昔の武術の達人は、相手の呼吸を読み、その呼吸の隙間に間髪入れず、技を掛けていったのです。ですから、古来の一騎打ちに代表される戦いは、「呼吸の読み合い」と言っても過言ではありません。その読み方は、呼吸の深い浅いで判断出来る故、それを活用して、相手の心理的気配を察し、その隙に乗じて色々な手立てを引き出すのです。そして、自分の心の有様(主に感情)だけではなく、相手の感情の位置を「心の法則通り」読むことで、勝負を有利なように導く手立てとしたのです
 ここに書いたように、昔の武人達は、ギリギリの命脈の中から、「呼吸・筋肉・想念」の同一性法則(シンドローム)を見いだし、それを自然に(経験則として、または教育の手を加えて)体得して行きました。
 また、視点を“病気”と変えてこれらのことを判断しますと、やはり、筋肉の固さが、呼吸の浅さや回数と同期していることに気付きます。それは、呼吸が「乱れる、浅くなる、荒くなる」……つまり、そのトレーニング方法を知らないままでいると、我々の考え方や感じ方は、マイナス方向(悲観的で臆病)の方向に曲がり、あらゆる判断が狂ってきます。

 

★★「恐怖心」は何故起こるのか?★★

 恐怖心はどのような状況で心に湧いてくるのでしょうか?
我々の心は、大きく分けると理性と感情の2つのパターンを持っています。人間は、平素、他人と接するときには、社会性や己のプライドなど、他者から見てどう思われているかを気にしながら言葉や行動を選んで用いています。これが理性です。
 しかし、自分の理不尽や弱点を執拗に相手が指摘したり、何かの理由で打ち負かそうとして攻勢に出てきた時、論理や言葉、自分の自制心を超えて感情的になり、暴力や暴言によって自分のプライドを守ろうとします。これがいわゆる「キレる!」という状態で、感情的になり、理性で制御できなくなります。
 これは、己の行動や思考が、論理では相手に解説出来なくなった状態の時に、まるで「窮(きゆう)鼠(そ)猫を噛む」が如く牙をむきます。それは詳細に分析すれば、自分の言葉や行動が理に適わなくなり、もはや逃げる余地がなくなったことで己の心が恐怖心に満たされたときに起こる、心の最後通牒のようなものです。
 我々は普通、暴力的に走る人間は腕力や武力が優位であると認識しがちですが、心の防衛機制は全く逆の働きに出るのです。つまり、もう為す術無しと感じたとき、今まで働いていた理性から感情にそのスイッチが入ります。ですから、感情的になり暴力的になる人間は、強いのではなく、逆に自分が弱い故に、「キレる」ことで己の恐怖心をなくそうとするのです。そのような事例は、我々の近辺には多く存在します。
 例えば、ナイフを持った暴漢は、恐ろしく強そうに見えますが、その内実は、自分の行為に恐怖心を持っていて、素手では心許ないので、ナイフという武器を味方に付けて挑んでくるのです。ですから、ナイフを奪うことが出来れば、案外、簡単に取り押さえることができるのです。(失敗すれば大怪我をしますから、「君子危うきに近寄らず!」注意して下さい)
 また、先の太平洋戦争で、米英支蘭4カ国に囲まれ、補給ラインを絶たれた日本は、ハワイを先制攻撃することで難を逃れようとしました。これは恐怖から来る所業で、優位にある者はこんな行動は取りません。また、現在では北朝鮮金正恩がミサイルや原爆実験で我々を牽制しています。これも、恐怖から来た感情的行為です。
 これら恐怖心によって無謀な行為に出た原因を探ると、皆、理不尽な行為や焦り、また、己の自己満足のために行った、礼を逸した行為です。「礼」とは、関係性においてのバランスのことですから、バランス感覚のない者が恐怖心を味わうということになります。つまり、恐怖心は礼節のないところに起こる最悪の感情なのです。

          この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/

 


            

[今週の喝]第630号 (2017.5.15~2017.5.21)


潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

成功への道しるべ!この世は全て催眠だ 373

 

      「健康は病気のもと!?」
                                 
 
 文明が極度に発達した現代社会は、昔とは比べものにならないくらい暮らしやすい社会になりました。と言いたいところですが、実際問題として、心に悩みを抱えている人が昔に比べると格段に増えています。
 人間の心と身体は密接に影響し合っているので、心が病むと身体に変調が出ます。古来より「心身一如」と言われるように、心が病めば身体は疲弊し、その活力を失います。つまり、筋肉の力が弱まるのです。また、その逆に、身体の一部が病気や怪我で痛みなどの変調を感じると、まともに思考は働きません。私も指先に小さな棘(とげ)が一本刺さっただけで、全く文章が書けなくなった経験をしました。
 ですから、良い仕事をする為の第一条件は「健康」であることです。しかし、私たち生き物は、健康であるときほど、健康であることを感じなくなるように神様は作られました。それは、健康を意識すれば、それに心が奪われて、物事に「集中」出来ないからです。特に人間は、集中力のある者が良い仕事をするように出来ていますので、「健康」であることは、とても有り難いことなのですが、健康に意識が行かない故、特別に「感謝」の心は湧きませんね。病気になって初めて、健康の有り難さを知るという「後知恵」……これが健康です。
 健康に感謝して、常に体調を整え、病気にならないように対処対策をとれば好いのですが、これがまた厄介なことに、健康を意識すればそれに気を取られ、気が散り、集中力が削がれ、仕事が疎かになってしまいます。
 だから我々は、健康を意識せずにいる故、夜更かしや暴飲暴食など身体に良くないことを、健康であるがためにしでかし、その結果、肉体を疲弊させ抵抗力を弱め、やがて病気を誘発するのです。
 このように、「健康」という当たり前の状態を観察してみても、大いなる矛盾を感じずには居れません。

 

★★「衰老の辛酸」は「頑固」より始まる★★

 私たちの心と身体は、このように密接な関係にあります。そしてもっと詳しく観察してゆくと、私たちの心が意気揚々と肯定的、希望的なときは、我々の肉体はリラックスし、筋肉は柔らかくなっています。これは、内臓系の筋肉に於いても同じで、肺や胃腸など五臓六腑も柔軟に動いて、食べ物の消化、並びに血液やリンパなど体液も円滑に身体を駆け巡ります。
 特に、呼吸が深くなると血液循環が促進され、身体の隅々にあまねく酸素が供給され、細胞レベルで健康が維持されます。従って、健康な身体とは、呼吸が深く、筋肉が柔らかい状態で、思考がプラスの方向に展開して行きますので、アイデアや記憶力が活性するのです。
 「心身一如」とは、このような関係から「呼吸・筋肉・想念」が密接に繋がって平行移動している状態です。ここで注意しなくてはならないのは、「呼吸・筋肉・想念」のうち、「筋肉をリラックスさせよう」と思っても、そう上手くはゆきません。また、想念(自分の考え方)をプラス思考にしようと考えても、これまた「そんなこと出来るかなぁ?」と、マイナス思考に傾きます。ですから結局、自分の意思通りに動くのは“呼吸”ということになります。
 呼吸は深くする訓練を経れば、やがて自在に呼吸を操ることが出来るようになり、深呼吸は体内の血液循環を促進し、末端細胞の隅々にまで酸素供給をしますので、呼吸が穏やかで深い人間は、その思考状態がプラスになるのです。ですから、あらゆる修行……宗教やヨガ、スポーツまたは芸術の分野に於いても、先ずは呼吸をコントロールすることから始まります。
 我々人間の大半が、年齢を経るごとに頑固になるのは、身体が堅くなると思考がマイナスに働くからです。そしてこの時、同時に肺の筋肉も徐々に衰えて呼吸が浅くなるため、新たな発想が浮かび難くなります。それでも、人間はプライドは棄てられないので、過去の自分の所業にしがみつき、それが障壁となって、余計に新しい発想が湧き出難くなるのです。
 このように、過去の栄光や成功例はシッカリと記憶に留まっているため、見識やプライドは現在の知恵の枯渇を補おうと、無意識にその実態を覆い隠そうとして、他者(現在活躍している者など)の悪口を言うようになるのです。それの最たる言葉が「今時の若者は……」という慣用句です。「年寄りの冷や水」(歳に合わない出過ぎた行動をしようとすること)とは、このように他者を悪く言うことで己自身の優位性を示そうとする断末魔の抵抗から始まるのです。
 人間の最大の不幸は、「衰老の辛酸」を嘗めることです。年老いてからの辛酸で最も悲惨なことは何かと考えますと、それは「人間関係の破綻」だと私は思います。人間は自分と同じ考え、またその考えを調整するため親しく論議できる仲間がいて、初めて同胞愛に目覚めます。それが、頑固な心しか持てなくなると、次第に孤立し、周りに人がいなくなったのを自分に逆らう人間がいなくなったと錯覚して優越すら感じるのです。いやはや、人は自分自身が「常に正しい」と思わなければ生きていられないやっかいな生き物ですねぇ。
 このように、「自分は正しい!」と思うために、自分に都合の良い考えや事象をその証拠として集め、歪んだ証明をしようとすることを「確証バイアス」といいます。これも“我”の表出の一つで、頑固者が持つ一種の「偏見」なのです。

               この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/

[今週の喝]第629号 (2017.5.8~2017.5.14)

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

成功への道しるべ!  この世は全て催眠だ  372

 

「人は頭脳明晰だけでは生きて行けない!!」
                                 
 
 さて、現在M&U SCHOOLのホームページが、サーバー契約切れで皆様の手元で閲覧できなくなっていることをお詫び申し上げます。
 このHPを担当していた印刷会社の社長が、コンピュータやホームページをより多くの人に見てもらうためのテクニックに長けていることで、自らHPの管理更新を引き受けてくれておりました。その社長が先般、時運に見放されたのか、会社を倒産させてしまいました。その時、我がSCHOOLの多くの有志は、負担を軽減するために色々とレスキューを試みましたが、彼からは「梨のつぶて」……何の音信もないまま、5月1日付けでサーバー契約切れとなり、他の人に引き継ぐことを拒否したかのような恰好になってしまいました。ここに深く、お詫び申し上げます。
 会社倒産という人生最大の危機に、ホームページ更新どころではない心情は察しますが、それはそれ、彼も今は一介の人間として、これからもシッカリと生きて行かなければなりません。その為にも、「立つ鳥、跡を濁さず」の喩えにもあるように、“公”を優先して欲しかったと感じております。
 人間の法則である、「貧すりゃ鈍す」の証しのような今回の事象に、SCHOOLの皆さんは、心新たに「人間の在り方」を再確認しようと、より一層の学びを進めております。
 彼は、頭脳明晰、素晴らしい感性を持った人ですが、新しい印刷技術開発のための投資や世間の受け入れ態勢が儘ならず、今回、倒産の憂き目を見たのです。しかし、我が校の多くの税理士の方や、また同業の方々が将来の再独立に支援の手をさしのべようとしていた矢先の出来事に、みなさん唖然としていました。
 人間は、頭脳明晰性だけではこの世を生きて行くことは出来ません。そこに必要なもう一つの条件は、人間性=人格です。

 

★★「騙す」より「騙される」方が良い!?★★

 では、今回の事象に至る前にSCHOOLのみんなは手をこまねいていただけなのかと言うと、そうではありません。倒産という人生最大の危機に対しても、頭脳明晰性のみならず、その人間性を信じて、多くの皆さんは、社会性を顕示してくれるものと期待すらしていたのです。ですから、彼に裏切られたという感覚は全くなく、むしろ期待外れの感が我々を失望させています。
 さて、この事象が起こる前に、大勢の方が事後の対処対策案を示して下さいましたが、敢えて私はこの事象が起きることを“是”としたのです。それは、私が30年前に開校したM&U SCHOOLは、人間の情理や情則(無意識の心の動きと心の法則)を研究提示し、人生の成功の為にどうあるべきかを体現する実科学校を開校精神として創設したからです
 人間は放っておけば、無責任で下品、且つ卑しくなってゆきます。だからこそ、学ぶべき学校が必要と考えました。その考えに至ったのは、私自身、何の才能もない(と思っていた)一介の子供を、その奥に秘められていたのか、それとも、新たに植え付けて下さったのかは定かではありませんが、Fluteという楽器を与え、本来誰もが嫌がる練習に駆り立て、その達成感が練習という“苦”をしのぐ「快感」であることを教えて下さった“師”と邂逅したのです。この、人生を変えるような出逢いがあって、私は「学ぶ」ことの重要性を感じ取ったのです。
 ある日、私は師・得津武史先生に、
 「何故、私にあのように音楽を叩き込んで下さったのですか」
と、尋ねたところ、
 「そこに、お前が居ったからや!」
という明快な答え。後年、“縁の法則”を分かり易く説いて下さったと分かったのは、私が35才(M&U SCHOOLの創設年)の時でした。
 人は出逢いによって、人生が素晴らしいものに変わるか、諍(いさか)いの種が蒔かれ、欺(ぎ)瞞(まん)や裏切り、それに比した「やられたからやり返す」リベンジ(報復)の嵐を生じさせるかに分かれます。私は、子供の時より父親に、
 「人間は、騙すより騙される側にいる方が、将来、必ず再生する
と教え込まれ、一遍の詩を伝えてくれました。それは、
 「倒されし竹は再び立つれども、倒せし雪は跡形もなし!」
というものでした。
 人間の更生とは、相手を信じることからしか始まらないことを私は身を以て教えられ、また、私もその通りであることを実感しております。
 ですから、私は多くの企業の研修を担当させてもらっていますが、どの企業とも、「契約書」なるものを交わしません。契約書とは、約束を破ることを前提にしたストッパーですから、当初から相手を疑って掛かることになります。そんな状況で、まともなLessonなどできる訳がありません。また、疑念の中で学ぶことも不可能です。
 このような状況下で、私自身を決断させたのが、我が父の座右の銘「倒されし……」だったのです。正に、人間は学ぶことによってのみ廉恥心(恥を知る感性)が備わるのであって、平気で、または恨みをもって人間と接する感性は、やがて催眠法のように潜在意識に刷り込まれ、無意識に自分自身をリベンジの正当化へと導き、その人生は「衰老の辛酸」という人間最悪の終焉で幕を閉じます。
 もし、この「喝」を読んで、何か心に感じたなら、意地など全てを棄てて、潔くみんなの前で、未来の夢を共に語り合いたいものです。倒産という所業はそれで終わりではなく、単なる人生の一過程に過ぎないのですから……。

               この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/

[今週の喝]第628号(2017.5.1~2017.5.7)


潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

  この世は全て催眠だ  371

 

「名誉心」は前時代的なものなのか?
                                 
 
 戦争が起こる三大原因(利益、恐怖、名誉)についてお話ししております。この三つの原因を助長するのが、モチベーション三原則(憤怒、欲求、憧憬)です。
 この中で、「名誉」などというものは前時代的で、そんなことで命を掛けるなどと言う人間はいないように我々日本人は思いがちですが、これこそ古い言い回しをすると、「マッカーサーの陰謀」に日本人が填まったのです。もっと正確に言いますと、愛国心溢れる日本人が、帝国主義による侵略から自国を守る為に、命を賭して立ちはだかった原因をアメリカが調べたところ、その根本に武士道精神が厳然と生きていたことに気付いたのです。
 武士道を簡単に解析すると、「名誉心」と「廉恥心」によって構築された精神です。その精神は日本独自の“封建制”を育み、そこに欧州や中国には見られない日本固有の武士社会が生まれました。
 欧州や中国の封建制度は、どちらかという絶対主義の下に臣下が隷属していたものがほとんどですが、日本のそれは、君主に対して自分自身の名誉と、そして、決して恥じることのない生き様を示すことで、信(信頼と信用)を勝ち得たところに成り立った忠誠心で主従が結ばれておりました。
 そして、明治維新後は、その忠誠心が武士だけではなく、国民皆兵の制度に取り入れられ、全ての日本人が憧れた武士と同じ心意気に教育されていったのです。それは明治15年に睦仁天皇自ら発布された軍人勅(ちよく)諭(ゆ)に明快に示されています。
 現代人の多くが古いと思う「名誉心」は、果たして現在の日本には存在しないのかというと、そうではありません。警察官が悪いことをしている人間を発見すると、それがたとえ非番の日であっても、瞬発的にその事件に挑んでゆきます。また、消防士も火の手を見ると、無意識に消火活動に態勢をシフトし、救急隊員は病人やけが人を見ると、その人間が身内でなくても必死で救おうと努力します。これらは、みな訓練のたまもので、危機的事象を見ると自然に反応するように教育された結果です。つまり、名誉心は前時代的なものではなくて、ただ単にその教育訓練が為されてこなかっただけなのです。

 

★★「格好」vs「恰好」★★

 武士道精神の二つ目は“廉(れん)恥(ち)心”です。廉恥とは「恥を知る心」で、羞恥心(恥ずかしがる心)の真反対の精神です。つまり、己の失敗を恥ずかしがって隠蔽や嘘で誤魔化そうとする羞恥心ではなく、失敗の憂き目に遭ったとき、その所業を恥じて「二度と失敗しないぞ!」と心引き締める精神です。この“廉恥”という言葉は、現代ほとんど使う人はいませんが、廉恥心がなくなったという意味の“破廉恥”だけ、すこし前の漫画「ハレンチ学園」などに厳然と残っています。
 武士は、この廉恥心を座右の銘として、人前で恥をかくことを己自身に戒めました。こんな話が残っています。
 ある武士が数人の仲間と談笑中、迂闊にも放屁してしまいました。その音を聞いていた仲間の一人が冗談めかして
 「御主、今放屁いたしたな?ハハハ……!」
と揶揄した次の瞬間、当の本人はその行為を恥じて、舌を噛みきって自害したのです。
 何もそこまでしなくても……と思うのは、破廉恥な現代人の考えです。彼の時代の人は、こんな些細なことでも自分の名誉に照らし合わせて恥と思い、自ら命を絶ったのです。
 陸軍大将の東条英機が記した“戦陣訓”に、「生きて虜囚の辱めを受けず!」とあるのも、こういった廉恥心の考えが頂点に達し、謳われたのでしょう。
 このように、武士が最も大切にしてきた精神である「名誉心」と「廉恥心」は、やがて武士の行動美学である自制心」と「美意識」をバックボーンに、“嘘”をつくことのみすぼらしさ、不名誉から「武士に二言無し!」という格言に集約され、誠実さから成る“格好良さ”こそ武士の鑑(かがみ)とされるようになりました。
 武士道とは……?この質問に端的に答えるならば、私は「かっこうよさ」だと思います。「かっこう」という漢字は二種類あります。
 一つ目は“格好”です。「格」は訓読みで「格(ただ)す」と読み、格好で「格(ただ)すが好し」となり、自分自身に間違ったことがあれば、意地を張らず、素直に“ただす”心を持ち合わせている人間のことです。このような人は、精錬で爽やかな人間性を醸し出す故、周りの人間から愛され慕われます。
 二つ目は、“恰好”です。「恰」は訓読みで「恰(あたか)も」と読み、恰好で「恰(あたか)も好し」となります。今流の言い方にすれば、バカボンのパパ風と「これで良いのだ!」となります。そう、武士はどのような境遇になろうとも、自分の運命を逍遙として受け入れました。それが喩え、上からの切腹命令であったとしても「これで良いのだ」と自分の運命に対して恭順したのです。

               この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/

今週の喝 第627話/04月24日(月)~04月30日(日)

 
 

「戦争誘発三大原則」


 有史以来、地球上から戦争がなかった期間は、通算するとたった6年です。人間の歴史とは、言い換えれば戦争の歴史と言っても過言ではありません。

 戦争が起こる原因……それは、大きく3つです。それは、

   (1)利益  (2)恐怖  (3)名誉

であると、古代ギリシャの将軍トゥキディデスは喝破しています。これに宗教、人種差別、領土問題が加わることで原因は多様化します。

 SCHOOLでも、人間のモチベーションの三大起因は、「憤怒、欲求、憧憬」と伝えていますが、その中でも憤怒は最も直接的に争いを喚起します。孫子にも「敵を殺すは“怒”なり」つまり「肉親や友人を殺された兵士は強い」と端的に言っています。これは、自分が大切にしていた人達を殺されたことで、自分の名誉心が傷つけられたと思うからです。

 「今頃、名誉なんて古いんじゃないの?」という声が聞こえてきそうですが、このような考え方は、現代教育によってもたらされたのです。

 つい最近も「教育勅語」が取りだたされ、暫し、国会でも議論が集中しました。私もこの機に教育勅語に何が記されているかを研究した結果、その内容は“素晴らしい”の一言に尽きました。

 しかし、その教育勅語にクレームを付ける議員達の弁償に私は唖然としました。それは「親孝行し、夫婦仲良く、兄弟げんかを慎み、友達を大切に……」と、人間の最低限の道徳が書いてある、これがいけないというのです。その論旨は、「このような考え方を強要するのは、人間の自由を侵害する物であるから、御上から指図されるべきものではない」というから驚きます。

 

★★人は「飼育」ではなく「教育」で育つ!★★

 

 森友学園問題が発端となった「教育勅語論争」ですが、私は教育勅語を再認識するのにとても良い機会だと思います。それは、今の日本人が如何に堕落しているかを知ることとなるでしょう。

 戦争の起こる原因は、明快です。さすれば、抑止することも明快です。しかし、それを、学ぼうとしない人間がいる限り、抑止は不可能となります。同様に、教育勅語に書かれている内容は、我々が勉強する(教育を受ける)必要性の根本的理由が明快に書かれているのですから、これを学ばなければ、秩序はなくなって亡者が増え、争いの種となる事は必定です。

 嘗て、私は「胡蝶蘭」の種を蒔いて、そのまま放ったらかしにしてみたことがあります。花は同じように咲くのですが、お祝いにもらう胡蝶蘭のように茎は真っ直ぐ伸びず、曲がりくねってしまいました。当然のことですが、売り物の胡蝶蘭は、茎に添え木がしてあって美しい形になるように人為的に手が施されているのです。同様に、人間も放ったらかしにしたら、人のモラルは身につきません。これは、「飼育」であって、「教育」ではありません。

 確かに現代社会は“自由”でなければなりません。しかし、我々人間は集団で生きる性質を持っていますから、“自由”によく似ていながら不愉快極まりない“勝手”ではいけません。

 教育の根幹は、この「自由と勝手の違い」を教えることが大切です。それは漢字で表すと“義”の一文字です。義の付く言葉……義務、義理、義勇、義士、義塾etc.数えたらキリが無いほどありますね。私は、この“義”の意味を超単純明快に「美しき人間関係」と解釈しています。ですから、教育勅語に記されている人間関係に関する記述は、全て教えられないと身に入ってこない内容です。

 親子、兄弟、夫婦、盟友など親しい人間関係こそ、「親しき仲に、礼儀あり!」のことわざが示すように、親しすぎて無礼になり、ひとたび亀裂が生じると取り返しの付かない状態にまで陥ってしまうのです。私も、多くの企業に携わってきた結果、企業が倒産したり、買収されたり、廃業する原因は、次の3つが主な原因でした。それは、

  (1)親子喧嘩   (2)兄弟喧嘩  (3)夫婦喧嘩

これに少し会社が大きくなると、社員の中に派閥が出来て、状態が拗れてゆくのです。そのようにならないためにも、教育勅語にある指摘は、明治23年の時を超えて、現代社会に徹底した警鐘を鳴らしている不易の法則なのです。

 催眠法では、「教育は緩慢な催眠!」と言われています。それほど、人間社会にとって教育は、天の法である「摂理」に則った事を教えなければ、やがて日本国自体が堕落し、自国一国も守れない烏合の衆の勝手集団となり、やがて周囲の野蛮国に蹂躙されるやも知れません。


この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/

今週の喝 第626話/04月17日(月)~04月23日(日)

正常性バイアスは、潜在意識の為せる業!?

 

 この世から、なぜ悲惨な戦争はなくならないのか?

この究極の疑問に対する回答は、

 「人間に於いて最も愚かしい性質は“正常性バイアス”である」

ということです。正常性バイアスとは、

 「全ての人間は、自分はどんな厄災に遭おうとも、自分だけは常に安全(正常)である」

という思い込みです。バイアスとは偏った力が働いている状態ですので、心理学的に言えば“偏見”となるでしょう。

 この“偏見”ですが、それが潜在意識に一旦刷り込まれると、己の観念(自分が信じている世界)が、正しいと思い込み、大きな力になります。潜在意識は、我々人間が人生を苦しまずに生きてゆけるようにあらゆる行動を反復することで“癖化”します。癖化とは、無意識化のことでもあります。意識にあがらないのですから、苦は当然生じません。つまり、人間の頭脳(思考)を通さずに、“反応”するようになるのです。

 こうすることで、我々は自分の意識にいちいち挙げずに癖として自然に行動をするようになります。この効果が良い方に表れたのが、練習に次ぐ練習……つまり、“反復練習”によって潜在意識に癖化した結果、名人級の演奏をする楽器奏者や、見事なウルトラ演技をみせるスポーツ選手となり、我々に感動を与えるのです。そして、絶賛を浴びることを、これ又繰り返すことで癖化し、絶賛が常識となって“自信”に変わってゆくのです。

 自信が付くというのは、このように潜在意識に自然にインプットされた成長過程です。ですから「私は、自信がある」と意識に上がってくるのは不自然なのです。このように無理矢理「自分は出来るのだ!」とばかり自分の潜在意識に叩き込もうとすると、それは、自信ではなく「自惚れ」となります。これをまた、反復することで身につけて(癖化して)しまえば、今度は、性格までが嫌味な物となって、周囲の雰囲気を悪くしてしまいます。我々はよほど注意をしないと不自然な“偏見”を身につけてしまうのです。

 

★★「正常性バイアス」は自己催眠!★★

 

 日本は、戦後70数年実際の戦争を体験していません。これは、世界の趨勢から見て我々の「平和?」の方が不自然なのです。これは私の感覚ですが、平和の代償に「愛国心」を無くしてしまいました。国に一朝事あれば、守るぞ!という気概のある人間を教育せずに剥奪してしまったのですから、これは平和ではなく、闘う気力を無くした単なる「腑抜け」です。

 白鳥が水面を悠然と泳ぐ優美な姿を、水の中から映した映像を見ましたが、必死になって水かきを動かしていました。我々が見ている姿とは裏腹にもの凄い努力をしています。平和とはこの白鳥の優美な姿のように、水面下でとてつもない努力をして勝ち取られるものなのです。

 先般も、「戦争はいけないことと分かっているのに、なぜ、無くならないのか?」という回答は、勉強しない者が安易な偏見の中にいて、「共存」ではなく、勝利感覚が高じて「支配」の道を選んだことに原因があります。

 北朝鮮金正恩(きむ・じょんうん)がやたらとミサイルや核開発を促進しているのも、学ばない人間が、自国民を権力で押さえている小さな勝利感覚で正常性バイアスを誘発し、“蟷螂(とうろう)の斧(おの)”状態を作っているのです。蟷螂とは「カマキリ」のこと、その前足は斧のような形をしています。そして、カマキリは相手が自分とは比べものにならないほど大きな生き物・人間でもその前足を振り上げて掛かってきます。そのことから「力のない者が、自分の非力も顧みず、強い相手に立ち向かうこと」を言うようになりました。出典は「荘子」です。

 いやはや、学ばない人間がいつも揉め事を起こすのです。この事象を見て、「本当にバカな国だ!」と思っている我々日本人は、如何なものでしょうか?多くの国民は、「平和は只!」と思っているのではないでしょうか?これも、やはり“正常性バイアス”なのです。

 無知蒙昧をあざ笑う我々も、また無知蒙昧なのです。無知蒙昧とは何も知らないことと解釈しがちですが、そうではなく、「自分が正しい」と思う自惚れの心に支配されている人間を指します。

 良識ある人間は、常に自分の進む道が正しいかどうかをチェックするために、他者の意見をシッカリと聴き、その意見が、世の中を成り立たせている“摂理”に添っているかを確認します。「傍目八目」と言う諺があるように、他者の眼は意外と正確に判断しています。それでも、やはり偏見の眼かも知れませんから、摂理の勉強を怠ってはなりません。

 “正常性バイアス”……これは、明らかに偏見です。偏見そのものが生じる要因は、正に「そのように思うことで“快”が得られる」ところにあります。まさに、正常性バイアスは“自己催眠”と言っても良いのです。


この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/

今週の喝 第625話/04月10日(月)~04月16日(日)

人間は、なぜ戦争を止めないのであろうか?


 このような文章を書いている最中、4月7日にアメリカはシリアの毒ガス攻撃に対して、ミサイルを59発撃つ対抗措置に出ました。非常にきな臭い戦争の匂いがプンプンする世情に、第三次世界大戦の陰がちらつくように思います。

 誰が考えても、戦争はいけないこと!と分かるのに、どうしてこの世から争いがなくならないのでしょうか?

 先回、老子の最高の徳である「柔能く剛を制す」……つまり、この世の摂理は、堅く強い物よりも柔軟で柔らかい物の方が最後には勝利すると言う世間の観察から、最終的な結論「不争の徳」について書いたばかりです。

 今までの戦争は、老子はじめ世界の賢者達がその劣悪性を説いているにもかかわらず、無くなる兆しは一向に見えません。それどころか、第一次、及び第二次世界大戦の勃発要因を見れば、人間の何か何処か間違った見解や感じ方が、拡大させたように思います。

 調べてみますと、世界最古の戦争を紀元前1200年のトロイ戦争として、それから現在に至るまで、全人類の歴史の中で地球上から戦いが全くなくなった期間を合計すると、たった6年間しかないというのですから驚きます。また、日本がアメリカの黒船によって開国を迫られてこの方、近代160年間は、世界中で戦火の収まったことはありません。

 このような事情からでしょうか、ユネスコは日本の江戸時代を歴史遺産にしては、という案が出たと聞きました。そのわけは、江戸時代の約260年間、これほど戦いもなく平和な世が続いたことは、世界の歴史を見ても他に類を見ない偉業だからです。

 徳川家康が天下を平定して、初めて付けた年号は「元和(げんな)」で、その意味は、「ここより平和が始まる元とする」という願いを込めたと言われております。

 

★★「不争の徳」は夢物語!?★★

 

 人間は、戦争が悲惨なものと解っているのに何故止められないのか?

先ほど徳川家康の年号の話をしましたが、彼自身、平和を現実のものとするために多くの矢玉(戦)の中をかいくぐってきました。まさに、大きな矛盾……「平和を、勝ち取った」のです。つまり、平和をもたらすのに武力で制圧するという、強制での達成です。強制的に戦争排除したなら、平和立国建設も強制を伴うのは必定でしょう。なぜなら、民衆は心から平和の尊さを理解していないからです。

 戦争のみならず、今度2020年に私たち日本で開かれるオリンピックも究極を言えば、スポーツに形を変えた国家間の“戦い”です。根本的に我々人間のみならず、あらゆる生きとし生けるものから“戦い”をなくすことは出来ないのではないでしょうか。何故なら、この世に生きる物は全てが「生存競争」……つまり、食べ物を食べなければ生きて行けない宿命の中に、食べ物の数が少ない時のために他者と闘争する心と身体を育んでいなければならないからです。

 大自然の掟の根本は、「弱肉強食」です。神は皮肉にも、我々生き物にこのような過酷な試練を託し、その試練の内から勝利者を優勢として生きる権利を与えたのです。その裏には劣勢とされたものの滅亡や隷属・使役が優勢を支えているのです。

 このように過酷な生存競争の中で、ある秀逸な種や知恵のある生き物は、「共存」出来ることを発見し、そこに生命サイクルともいうべき連鎖を作り出しました。しかし、知恵のないものや欲望に駆られたものは、「共存」ではなく「支配」の道を求めたのです。その根本原理は、支配の道には、厳然と勝者と敗者がいて、とりわけ勝者が味わう勝利感覚には脳内伝達物質(アドレナリンやドーパミンetc.)が催眠効果(快)を促し、たばこや酒、悪いところでは麻薬類と同じように、その感覚は更に大きなものを求める相乗効果が誘発されるのです。そして、その勝利感覚に浸った人間は、徐々に「自分が負けるはずがない!」と正常性バイアスで論理破綻を起こし、感覚麻痺が始まります。これは、先ほど述べた酒、たばこ、麻薬etc.嗜好品と同様に、止めようとすればするほど、「意思反作用」の法則が働いて、より強烈に求めてしまうのです。これが「禁断症状」です。

 これこそ、最大の催眠効果で、嗜好品がもたらす快楽的感性に、理性が負けてしまうのです。これぞ、催眠効果の為せる技で、最近の脳科学でも脳内伝達物質が、その人間の傾注した快感を増大させるように分泌されることが解ってきました。催眠とは、ただの現象ではなく、体内分泌される麻薬的物質をも制御することが明らかになってきたのです。

 戦争も、理性的発動を謳う裏には、このような麻薬的要素(=催眠効果)が横たわっている故に、我々人間社会から無くならないのです。


この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/